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News Release

2014.10.30

新渡戸稲造先生

    盛岡に生まれた偉人の一人、新渡戸稲造(にとべ いなぞう)。
    盛岡市の先人記念館では常設コーナーが設けられ、HPでは氏の略歴を次のように紹介しています。

    「盛岡藩士新渡戸十次郎の3男として盛岡に生まれる。札幌農学校在学中にキリスト教の洗礼を受け、卒業後にアメリカ、ドイツへ留学し農学、経済学などを学ぶ。
    帰国後札幌農学校教授となるが体調を崩し、米カリフォルニア州で療養する。その間に妻や恩師に問われていた日本の伝統的な道徳教育についての考えを『 BUSHIDO(ぶしどう) THE SOUL OF JAPAN』としてまとめて出版。この本は日本文化の紹介書として各国語に翻訳され、今も版を重ねている。のちに京都帝国大学や東京帝国大学で教鞭を取り、第一高等学校校長、東京女子大学学長などを歴任、その人格教育は多くの生徒に影響を与え、また当時遅れていた女子教育にも取り組んだ。国際連盟の設立時にはその深い学識と高潔な人格のため事務次長に推され、スイスに渡り連盟の発展に寄与している。1984(昭和59)年11月には旧5千円札の肖像となる。」

    実は氏と学園との間には浅からぬ縁(えにし)が結ばれてあります。
    本校の『盛岡白百合学園百周年記念誌』を参考にして書かれた財団法人新渡戸基金発行の『新渡戸稲造の世界』第20号には次のように記されています。

    「御展墓帰省中の博士に遠縁にあたる山邊英太郎教頭の懇願が叶い、大正2年のこの日本校生徒に向けて講演いただくこととなった。内容は『誠心誠意なれ』というもの。これを契機に大正5年までの毎年、博士を招いての講演会が開催された。」

    毎回、子女の良き生き方、正しい在り方を説き、まだまだ婦女子の立場の弱かった時代にあって、これからの日本の女子教育に多大なる期待と夢を抱いていた氏であったことが記録から伺われます。

    「報本感謝の念」と題されて3回目の来校講演となったのが、大正4年の今日10月30日のことでした。

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